カレーまんの想い

下北沢との出会い

出身は長野県で上京前から時々下北沢遊びに来る機会がありその当時からこの街が好きだった。音楽活動をきっかけに池袋へ上京し就職したがブラック企業でホームシックになった。でも下北沢で通っていたバグハウスというお店で働くことになり下北沢へ移りすみその後ホームシックは無くなった。

カレーまん誕生

その年、バグハウスでカレー王座決定戦というイベントが開催された。任された役割はチラシ配り。多くのチラシを配る為に考えたのがカレーの王様になる。開催前日ヴィレッジヴァンガードで頭に描いたイメージそのままのコスチュームに出会った。この時カレーまんが誕生した。
カレーまんの格好をしていると面白がってビラを貰いに来てくれる人もいた。その甲斐あって1日のイベントだったが200人が来店して大盛況だった。
一年後カレー王座決定戦が拡大されて第一回下北沢カレーフェスティバルが開催されることに。カレーまん再度出動、当初カレー王座決定戦1日だけのキャラクターだったが、その後カレーフェスのメインマスコットキャクターになり10年以上も続いている。

悔しい思い

今でこそ街を歩けば手を振ってもらえ、写真を求められる存在だが当初はそうではなかった。
カレーフェスは開催当初から盛況で人も下北沢に集まった。だがカレーまんは変な人という存在として見られていた。
時には気持ち悪いと言われたこともある。その時期塗っていた黒いドーランが黒人差別だとも。チラシを配っていると怒られ邪魔者扱いもされた。
「俺、この街の為にやっているのに、なんでこんな言われ方されなきゃいけないの?」
悔しかった。
それでも好きな下北沢の為、街を盛り上げられるのならと辞める選択肢は無く毎年続けた。
2年後カレーフェスはメディアというメディアに取り上げられ、今までカレーまんの存在を知らなかった街の人たちにも知れ渡り、声を掛けられたりした。下北沢出身でもない自分を温かく受け入れてもらえたとこの時は素直に嬉しかった。

本物のカレー屋さんになる

ある時子供たちの言葉を人づてに耳にした「カレーまんはカレー屋さんなんだよ」。
それまでカレーを食べる専門家でカレーを作った事はなかった。でも自分の存在を喜んでくれる子供達の夢を壊したくない。と、その時から独学でカレー作りを始めた。しかもルーを使わずスパイスから作るこだわり。この経験がきっかけに後にカレーをプロデュースしていくことになる。

カレーまんと下北沢

話を聞く中、カレーまんは「下北沢は人生を変えてくれた街」と言っていた。
街を盛り上げる為に始めたカレーフェス。カレーまん。カレープロデュース。カレーが彼の人生を明るいものに変えた。そのカレーに出会ったのが下北沢だからだ。
今は沖縄に移住してお店を任されている。その名は「カレーバー シモキタザワ」。沖縄で自分の人生を変えたカレーと下北沢の名前を広める活動をしている。
ゆくゆくは沖縄で那覇カレーフェスティバルを開催したいと夢を語ってくれました。

最後に、カレーまんにとって下北沢カレーフェスティバルとは何か聞くと。
「大人の文化祭みたいなもの」と言う言葉を残してくれた。

夢を持ち集まり、幾つになっても青春を楽しむ。そんな人たちを受け入れてくれる街である下北沢を言い表した印象的な言葉だった。

cocktail=curry=SHIMOKITA ?

この作品が観られる場所

SYCLE by KEIO

住所:〒155-0031 東京都世田谷区北沢2-11-15 ミカン下北 A街区 4F

URL:https://sycl.space/

Artist

Kuru

テレビ番組や書籍のイラスト制作をしているほか、問いのきっかけをテーマに、ゆるふわかわいいからハードまで幅広い作風で専門分野への興味の橋渡しとなるような制作活動をしています。
現在、渋谷100banchプロジェクトにて「NYACKTAIL」シリーズを展開中です。
最近はファッションや映像、プロダクト等、表現方法を拡張したいなと画策中ですので、コラボレーションなどぜひお声かけください。

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