店主さんの想い
長い下北沢
大学進学に伴い上京した山田さんは下北沢で音楽活動をしていた。大学4年生の時にこの下北沢ぴあ&ぴあで働き始め、当時はアルバイトで入店し今はフランチャイズのオーナーとして25年が経つ。実に長いこのぴあ&ぴあでの人生は起伏に富んでいます。
27歳の時にバンドが解散、目標を失い無気力な日々を過ごした。下北沢は知り合いが多く、人と話す事で気力を取り戻していった。
入店から12年が経つ頃には店長になり順調だったが、今から6年前恩人である会長が亡くなり親会社が買収された。自分の店を持つか、このまま働くか、すごく悩んだ結果、愛着のあるこのお店に残った。その後フランチャイズオーナーとなり今に至る。
転換期コロナ禍
お店は影響をもろに受け客が来ない。経営状況も厳しく個人の貯金を切り崩してお店を継続させた。だが先行きの見えない不安や経済的恐怖にかられ、また無気力になっていった。何故?自分が選択を誤った?堂々巡りの自問自答をする日々。しかしそんな山田さんを救ったのは、また人だった。
少ないけど来店するお客さんと話せる事が嬉しかった。そのお客さんがまた人を連れ来て話す。繰り返す内にある事に気づいた。このお店は私だけの物ではない。色々な人の居場所だから閉めてはいけないと。だから自分に負けずに続けられた。
また時間が出来た事で自分の内面を見つめ直し、今まで親会社の真似ばかりをして個性がなかったと気づいた。それまでの自分は従業員に対しても独裁的だったと認める事ができた。それから山田さんは常に自分オリジナルの料理を開発し、従業員に意見を乞うて、風通しの良い雰囲気をつくった。今までの自分を受け入れ新しい自分を手に入れる事ができた。今はもっと面白い事を!と深く考えれるようになれたと語る山田さん。
自分の一部
将来はビル自体がなくなる可能性もあり自分のお店を持っているかも。その際はぴあ&ぴあという屋号を使いたいと思っている。25年近く過ごしてきたお店はもう自分の一部だからと。感慨深く頷く山田さんでした。
作品名:愛し愛されパワー
※アーティストさんの作品制作にあたっての想い / 経緯は実際の店舗でご覧いただけます。
アーティスト情報
想いやり展の参加を決めた理由は、人とコミュニケーションをとった上で作品を仕上げるという1人では実現できない体験に興味をもったからです。また楽しいイベントになると感じだからです。
よろしくお願いします。
バンタンデザイン研究所デザイン専攻を卒業後、デザイン会社に勤務。
創作活動への想い
作るのがすき
幼少期の森さん昆虫図鑑を観て昆虫の絵を描くのが上手だった森さんはいつも親に褒められた。それが嬉しく絵を描き続けていた。
森さんは絵だけではなく“つくる”事自体が好きで小学生の頃は方眼紙で立体作物を作ったり、夏休みの自由研究では裁縫してぬいぐるみも作ったりと。その時作ったぬいぐるみは今でも愛おしく大切に持っているそうです。
グラフィックデザイナーの道へ
中学の時も絵交換日記をして絵を描いていたのですが、高校では友達と遊ぶ事が多くなり自然と絵を描く事から離れていた。だが作る事が好きな森さんは高校2年生の時に文化祭で友達のドレスを作った際、担任の先生に褒められその道の世界に行くのを進めてもらった。それが進学先を決めた。
デザイン専門学校に進み、アートもデザインも同じで平面にカッコよく収められたものだと思っていたが、アートとデザインは全くの別物だと教えられた。その時感じたのはアートは主役でデザインは脇役だという感覚を覚えた。
成長を感じられる
卒業して今のグラフィックデザイン事務所に勤めて4年が経ちます。今振り返ると自分の成長を感じられる。最初はかっこいいもの、自分の作りたいものを作るスタンスで仕事をしていたが、お客さんの満足は得られない。今は依頼をもらった際にその製品の特徴をまず分析してカッコいいかどうかは最後の味漬けだと考える順番を整理できるようになった自分に成長を感じている。
もちろんそれまでには時間がかかった。幼少期から絵を描く、立体物を作る、ドレスをつくる。どれも褒められてきた。が、就職してなかなか認めてもらえない自分がいて戸惑った。プライドが邪魔して、そんな自分を受け入れるのができなかった。でも仕事を続ける中デザインは表立って褒められる仕事ではないと思える様になれた。
主役になる
今は自分のキャラクターを作ってフィギュアを制作して発表をしている。デザインは仕事で、アーティストとして自己表現をして主役になる。
これからも今と変わらず脇役と主役の両方の顔を持っていたいと思っている森さんでした。
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売上の一部が、アーティストに還元されます。
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